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庚申講について

庚申講について


いわき市山田地区に古くから伝わる庚申講について
毎年11月の庚申(かのえさる)の日に行われる行事に庚申講というものがあります。集落の一軒が順周りで宿となり、お供えの餅をつき、供養塔にお供え、注連縄を掛けてお参りをするものです。現在では、その後宿が中心となって会場を借りて一席の宴を設け日頃の労をねぎらいます。
記録を紐解くと「天保9年庚申仲間 宿控え帳」というものが現存します。
天保9年は1838年で徳川家慶が江戸幕府12代将軍の時代になります。今から177年前になり脈々とこの行事が続いてきたことになります。
では、庚申講とはどのような行事なのか。庚申とは十干と十二支の組み合わせの57番目に来る日となっています。諸説では「この日は人の心が冷酷になりやすいとされ、禁忌行事を中心とする行事が行われてきたとされる」とあります。また平安時代ころ、この日は、謹慎して夜眠らずに過ごすという修行も行われていたと書いてあります。起源は中国の道教であるとされています。また、「人間の体内には三匹の尸(し)、 または彭(ほう)=虫が潜んでおり、庚申(かのえさる)の夜、人が眠っている間に抜け出して天帝の もとに上り、その人の罪や過失を告げて命を奪わせるという。眠らなければ三匹の虫が 抜け出せない、ということでその夜は眠らずに身をつつしんで過ごさねばならないとする。そのための禁忌を道教で守庚申といった」という中国道教の教えが有ります。
江戸時代にそれが一般平民に伝わり、村ごとに講を作り神や仏を信仰することで禍や災難を逃れようとする常会として各村々で受け継がれていったと考えられます。
 現在は山田地区でも集落ごとに残っているところは少なくなってきていますが、少なからず人は罪や過失を犯してしまうことがありますから、真摯な気持ちで一年に一度供養塔に手を合わせるのも良いのかもしれません。

上記の記事はある取材で依頼されて書いたものですが、安島家が天保9年から続いていることや、信仰の本質を考え顧みることも必要ではないかと思いました。

2015-12-24 21:23:49

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